蒼の囚われ人 |
−2−
貴方の手を取った時から…貴方に手を差し出したあの瞬間から…。
不意に巡る矛盾な想い…。
(まだ引き返せるんですよ…さん。こんな汚い人間の手なんか振り解いてしまいなさい)
心の中でそっと呟く。
だけど実際の私は、そんな言葉を紡ぐことも…否定の言葉も言えぬまま。
まだ見ぬ子供を思って嬉しそうに笑う彼女に、自分も微笑み返すばかり。
(だって彼女は幸せそうじゃないですか)
闇に身を沈める私が囁く。
(まだ見ぬ我が子に思いを馳せて…。そんなさんの幸せを今更壊すのですか?寧ろそれこそ悪の所行ですよ)
耳元で諭すように囁かれる己の囁きは、矛盾な思いを抱く回数に比例した様に感じる。
まぁ感じるという曖昧な表現は、自分との葛藤の世界なので実に曖昧な感覚だからだ。
(それに彼女は言ったじゃないですか…「そうね…でも私の子で有ることには変わりないのだもの。愛せるに決まってるわ…生まれながらに背負う何かが有っても…かけがいのない宝物なんですから」…と。だったら何を今更悩むんです?)
何時も囁きは勝ち誇った様な声音でそう言い切る。
そして自分も…その声に色々思うことはあっても拒否できずに流されたままでいる。
今日だってそうだ…。
少しずつ始まる彼女へ準備。その為に女史は、私の研究室に足を運んでいる。
何時だって彼女に苦言出来る状況…。
だけど私のしているのは、今後彼女にすべき処置の事や…それらに関する事柄ばかり。
(本当に…自分本位の考え方をする人間ですよね私は)
淡々と語りながらぼんやりと、自分との葛藤。
そして今日は遂に彼女の前で、葛藤する表情を少しだけだしてしまう失態を起こしてしまったのだった…。
「た…たか…高松くん…」
切れ切れに遠くから聞こえる声にぼんやりと目を向ければ…それは間近から聞こえた女史のもの。
そんな事にも、気づけない自分に…如何なモノかと思いながら…平然を装って「何です?」と澄まし顔で言ってみるが彼女は困ったような顔をして。
「結構声をかけてたのだけど…疲れてる?」
「いいえ…ちょっと考え事をしていただけですよ」
デスクの上に無造作にあった書類をいじりながら、私はバツ悪気にそう口にする。
「考え事…ね」
女史はそう言葉に乗せると、思考を巡らせるように天井を仰ぎ見た。
「その考え事ってね…もしかして迷ってるのかな?私の承諾したこの件の事を」
うーんと小さく悩んでから彼女は言う。
あまりにも図星の内容に、二の句の繋げない私に彼女は畳み掛けるように言葉を続けた。
「女の勘ってヤツかな…。あれ?もしかして図星?」
「ありゃまぁ」と小さく呟いて彼女は、慌てたように手をパタパタと手を振りながら言葉を紡ぎ出す。
「えっとね…気にしなくても良いんだよ。寧ろ私が無理を言ってるだし…。それとも…何か遺伝子を組み替えたりしようとしてる?いくら高松君がバイオ科学者でも…流石に遺伝子組み換えとかはしないって思うんだけど…」
うーんと唸り…それから…「でも…そうだと少し考えてしまうわ」と苦笑を滲ませながらそう言った。
彼女なりに考えた不安要素に、私は首を横に振りながらすぐに返事を返す。
「流石にしませんよ」
「だよね。だったら何ら問題無いじゃない」
心底ホッとした表情でさんは、何でも無い事を言うようにそう口にする。
「さん…貴女は人を信じすぎですよ…私は良い人間じゃないです」
「私が人を信じすぎか否かはどうでも良いし…君が真人間じゃない事ぐらい…流石の私も知ってるわ」
私の言葉に対して彼女は先程までの戯けた様子を払拭して、そう言う。
「見くびらないでちょうだい。仮にも研究者である私が…高松君の居る組織を知らない筈が無いじゃない。勿論…そこがどんな所でどんな内容か…なんて愚問でしょ」
「だったら…」
言いかける私の言葉を彼女の言葉が…それよりも早く先手を打った。
「それでも私は…高松君の手を選んだわ。例えその手がけして清らかなものでは無いと分かっていて。だから迷わなくても良いの…選んだのは私なのだから」
キッパリと言い切る彼女に、私は何故だか彼女が私に言った言葉とよく似た言葉を口にしていた。
「誰とも知れぬ人の子を貴女に生ませ…生まれた子供は貴女を恨むかもしれませんよ」
…と。
それはきっと、自身に燻る後ろめたさがさせた事なのかもしれない。
それでも…(貴女自身が後悔するかもしれないのですよ)と言う言葉は言えぬまま私は…そんな言葉を口にする。
そんな私の言葉に、彼女は目を丸くして言葉を返してきた。
「イヤだわ…その科白は私が言った言葉にそっくりよ」
「そうでしたね」
フーッと息を吐きながら言う私に、彼女も小さく呼吸を整えてから…言葉を紡いだ。
「“片親であっても…血が繋がっていないとしても。望まれた命ならば…きっと恨まないで貴方を愛してくれるんじゃ無いですかね”」
私の口まねをする様に彼女はそう言う…あの時私が言った言葉を…。
そして…。
「君がどんな意味を持って言ったのか…自分自身の為の言葉だったのか…それは高松君じゃないから分からないけれど…でもね」
そう言ってさんは言葉を一旦切って、ゆっくりと呼吸をしながら言葉の続きを紡ぎ出す。
「あの言葉が有るから、私は高松君の手を取った。いえ…違うわね…。決断したのよ」
迷いの無い眼で彼女は晴れやかにそう言い切った。
2005.3.2. From:koumi Sunohara
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