ケセラセラと言える強さ
辛い時に辛いと言わないのは、強いからでは無いと俺は思う。
あくまで俺の考えであって、一般的な話では無いけどね。
何だろう?泣き事を沢山言うよりも、実に潔いと思うけれど…本当はきっと心の奥で悔しさや哀しさを秘めているのではないだろうか?
それは、弱さを見せたくないと思う所為なのか…それとも、上手く伝えられない所為なのか…人によって様々だけど、でもきっと辛い事には変わりない。
だから強いとは言えないと俺は思う。
そう感じるのは、俺の周りに居る人々は、素直になれない意地っ張りが結構多いと思う所為かもしれない。
祥ちゃん然り、瞳子然り…叔父に叔母…そして自分自身。
これは、悪意味での言葉では無く、好きな相手にこそ素直になれない、感情の表現が少し下手な愛すべき存在だと言う意味である。そう思うくらいなら、もっと素敵な例えが有るとは思うけれど、生憎俺自身も、素直とは少しばかり言えない存在だからこそ、勘弁して頂きたい。
生まれ持った環境の所為であると言いきってしまえば、とても簡単な事だけど、世界は一族だけという訳でも閉鎖的な空間と言う訳でも無い。
無限といううには広くは無いと思うけど、閉鎖的な箱庭より広い現実の世界。その中で括るのならば、やっぱり辛い事を辛いと言えない人間は強いのでは無く素直になれない意地っ張りなのだと俺は思う。
こんな意地っ張りな人種を上手い具合に弱音をはかせてしまう人間なって、居ないだろうと思っていた。
優しい言葉はかえって、頑なにする場合が多いから…。
けれども、従妹の祥ちゃんにそんな存在が出来始めてから、少しづつ俺の周りは変化した。
はじめは、祥ちゃんの姉の水野蓉子氏との出会い。これは、小笠原という閉鎖空間からリリアン内ではあるけれど、少し違う世界を触れる切っ掛けだった。
そして、運命の巡り合うせで出会った祐己ちゃんの存在…否、福沢家の存在だろうか?
祐己ちゃんにユキチ…従妹揃って福沢兄弟と出会い姉妹になったり烏帽子子と烏帽子親の関係になるなんて偶然の産物にしては出来すぎる程、うちの一族と福沢家は何かと引きあわされる存在だったりする。
しかも不思議な事に、彼女達の前では変な意地を張ってることが何故か出来ない。
明るく前向きで、悩んだり、苦しんだりという感情をあまり隠す事が無く…と言うか顔に出やすく分かりやすい祐己ちゃんや、祐己ちゃんより喜怒哀楽は激しく無いユキチを見てると和むと言うか、気を張って意地を張る自分が少し馬鹿らしく思える。
福沢兄弟にマイナスイオンが出てるとか、そうでは無いとか言う問題では無く、不思議と側で自然でいたいと感じる自分が居るのが分かる。
だからだろう、祥ちゃんも祐己ちゃんの前では姉様ぶってはみるけれど、結構我儘を平気で言うし、瞳子も好きな子を振りむかせようとする男の子みたいに、祐己ちゃんの気を引こうとしている。後者に至っては、無自覚なのだろうけどね。
でも、少しばかり瞳子が羨ましく思う時が有る。
無自覚だから祐己ちゃんに対して、接する事が出来る。色々考えたりしてしまう故に、俺はある意味素直になれない。
祐己ちゃんに対して好ましく思っていても、祐己ちゃんにとっては大事なお姉様を傷つける人とと言うイメージが強い分非常に俺に対するイメージはマイナスだろう。
ユキチに至っては、烏帽子子であっても色々な経緯があり、完全に好意を持たれているとは言いにくい。紅薔薇姉妹の様な関係とは非常に遠いが…まぁ大まかに良好だと思う。
そもそもユキチと祐己ちゃんは似ているけれど…異なる存在だ。
女の子と男の子と言う違いは勿論、少なからず気性が違う。
ユキチも素直で強い子では有るけれど、祐己ちゃんも違う意味で強い子だと思う。
その違いは上手くいい表す事は出来ないけれど、彼女のそのものから不思議な力を貰えるように思う。
例えば…。
「何でも無いよ。大丈夫だよ」
そんな、当たり前の言葉ですら…祐己ちゃんによって紡がれた言の葉は、何よりも素敵な無敵な呪文になるのだと…知る事が出来たのは、祐己ちゃんに出会ったお陰かもしれない。
どんなに、辛い事があっても…その人を許せる優しさ。
けして強くは無いけれど、嘘が苦手で百面相の心優しい彼女の「何でも無いよ。大丈夫だよ」は、俺の周りに居る人たちを勇気づける魔法の言葉になる。
何時か、祐己ちゃんにその魔法の呪文を言ってもらえる日はくるのか否か分からないけれど。
言ってもらえる日が来れば良いなと俺は思う。
「何でも無いよ…大丈夫だよ」
そう言える人が地味に強い人なのだろうと俺は何となく、最近そう思うのだ。
おわし
2010.5.6. From:Koumi Sunohara